以前このコラムで、野田高と野田北高の合併について書きました。
合併後の使用校舎は野田北高ということですから、事実上は、女子高減らしの一貫で、「女子高である野田高の廃校」ということなんですが、ほかの合併例(大多喜高と大多喜女子高など)と異なっていることは、野田高のほうが野田北高より、はるかに伝統があるので、合併後の校名は「野田高校」になるのではないか、(「野田高」がないのに「北高」があるのは変ですよね。)そうなると「野田高」に「野田北高」が乗っ取られたような形になってしまいます。これは野田北高としては、たまらないでしょうから、そこをどう落ち着けるのか興味があったのです。
結論は「野田中央高校」ということで、うまく考えましたね。もともと近隣に流山中央高校、柏中央高校と、県立の「中央高校」がありましたから、それを参考にしたのかもしれません。ただ、いままで「北」だったのが、そのままの場所で「中央」になってしまうのは、無理があるんじゃないでしょうか。
今までは野田市内の「北」に位置していたのが、関宿町と合併して野田市が北に伸びたので、野田市内の「中央」になったとでも言うんでしょうか。
まあ、伝統ある野田高校の、数多い卒業生は納得しないでしょうが、まずまずの落ち着け方だったとは思います。